滌源居
家元の茶室と露地
滌源居は、創立当初は釜座出水(かまんざでみず)の地にありましたが、1862年に幕府の命により北野の地に移されました。現在は速水流家元邸『滌源居』として平野神社の鳥居前の通りの東、北野神社の西、紙屋川に接した閑静な地に位置します。茶室、庭及び露地は、六代宗仁宗匠の指導より昭和二十七年頃に造られ、七代宗樂宗匠(先考任然宗匠)が整備し八代宗燕宗匠に引き継ぎ今日に至ります。
露地・露地門・腰掛待合・中門
表門を潜ると簡素な露地門まで石畳の延段が続き、露地門からは飛石に変わります。これを進むと右手に西園寺邸から移築された腰掛待合(こしかけまちあい)があり、さらに進むと中門になります。その先の右手には立ち蹲踞(つくばい)があり、左手には寄付(よりつき)の土間席、そして茶室前の露地に至ります。その先は蹲踞を通り奥庭の曲水(きょくすい)の園と続きます。家元は季節の変化を楽しむことができるように考えられた植物が植えられています。
茶室 滌源居・清冲軒
茶室は、八畳の広間「滌源居」、三畳板入(いたいり)の小間「清冲軒(せいちゅうけん)」となっており、寄付の土間を中心に水屋や控えの間が付属しています。八畳の広間は、正面に七尺床(ななしゃくどこ)を設け、床脇(とこわき)は地板(じいた)のままの台面(だいめん)となっています。床脇の下地窓には四本の竪子(たてご)があり、紙屋川の流れを表した特異な意匠となっています。点前座(てまえざ)の勝手付(かってつけ)の下部には高さ約二尺の位置に竹を入れ、引違い建ての太鼓襖(たいこぶすま)を開けると置道庫(おきどうこ)となります。
三畳の小間席は、点前座の先に幅六寸二分の板を入れ、下座に桝床(ますどこ)を設けた珍しい間取りの茶室です。これは流祖好みの茶室の古図(こず)に基づいており貴人口(きにんぐち)は先代の創作です。
六畳程度の土間は、化粧屋根裏で軽快な小屋組、中央には栗なぐりの梁、柱は細い磨丸太(みがきまるた)で、立礼棚(りゅうれいだな)を置くと適宜茶席となる鄙びた席です。