ご挨拶
速水流家元よりご挨拶
当代家元よりご挨拶
皆様ホームページをご覧いただきありがとうございます。2019年3月17日に速水流8世家元を継承しました。小生が速水家の茶の道の歴史を背負い有難きお役目をいただきました事は、何より御先祖様よりのお陰と感謝しております。
その感謝を元に、何よりも速水宗達の提唱したお茶の一服の世界観を通して現代の皆様に喜んで頂くため日々精進する所存であります。
速水宗達は、幼少より『敬和清寂』を唱え「大日本茶博士」と称されました。その名声は雲居そして光格天皇までも届き、自然と速水宗達の考えとして広まり派生していきました。千家の茶禅一味の茶を極める中、『敬和清寂』の森羅万象に対する畏れ敬う「畏敬の念」ところにより生じた茶の儀礼に和合の真髄があるという考えは、当時の茶禅一味の茶道が広がった世界としては異質なものでした。その畏敬による和合の世界を深く求める切り口が「清」らかさであり、その心底を求め偏りのない志を養う「寂」の時間あります。その合せた「清寂」が茶室であり、茶道における茶の一服の時間であります。その「清寂」の茶室で我々の執行う形(作法)は儀礼といい、その礼(レイ)とは見えないものそのものでありそれを感じようとするために形として表現するのが儀であり作法であります。つまりその見えないものを互いに共有するために目で見える形として生まれたのが儀礼作法であります。見えないものとは今昔の十人十色の我々一人一人が所有する無限に広がる心であり、それを伝えるために生まれた儀礼作法は今に至るまでに飽和し形骸化が進んでおり、その形を表面的にしか見えない世の中になりつつあります。そういう形は増え続け行く末はその形同士が合体し大きな形・勢力になっていき、それがルール化されていき常識であるとか非常識であるなど色々な枠組みにはめられていき、やがて我々の個々の無限に広がる心はその表面的な一般常識などの刺激(正悪)に囚われ、それが常態化して形の本質が見えなくなり表面的な形だけで言う世界となり、人同士の心と心のつながりが軽視され形式化され不自然な関係となっていきます。茶道の世界もそのような非日常的事の常識を謳う事に力を注いだ精神性を求めるルール化され社交の場のための組織と固まりその中での特性や美的センスとか非日常、歴史の深さなどの素晴らしいベール包まれ本来の心からの儀礼作法の本質が見えにくくなっており、それ故に一番重きを置くべく茶の儀礼作法そのものの本質は語られる事なく、茶の世界なのに茶の儀礼作法を通して禅の世界を語ることを起源と唱え精神性を求めることに偏っていたり、また現在では大きく組織に巻かれてのそのピラミッドのご縁の繋がりそして結束力をメリットとして寄せ集まり表面的に儀礼作法を利用している茶の世界としてもありました。そのような現代に至る茶の世界におきまして個々が所有する無限なる心の解放するための茶の儀礼作法として提唱したのが速水宗達であります。私も伝統ある実際のおもてなしにおいて、時代の波に乗りながら現代人への刺激的で魅力ある楽しい入り口である茶の世界に対して私も挑戦していく所存ですが、あくまでもそれは今の楽しみを求める「実践」です。「稽古」とは別物です。それが稽古での学び伝わる形を師の言われた通りの右左を覚え、儀礼作法の本来ある本質をおざなりになったままにその時の自身の楽しみを追求する様な「実践」となっています。「実践」は全力で相手を楽しませる事を良しとしそこに今瞬間生きている楽しみを求める。「稽古」は起源から湧きでた儀礼作法の本質を求める時間です。「稽古」は過去に向かうもの。「実践」は未来に進むものです。その過去に向かうもその道がどこからきたのか(いわゆる起源原点)がわからなければ迷います。そうして迷う中過去現在未来の区別もつかずの「稽古」となりやがて形骸化しそして儀礼作法の表面化した状態となります。その状態において真の和合、要するに満場一致(理にかなう)の未来が開けられることはありません。稽古は清寂に落在し儀礼作法の理(本質)に触れる場として意識を持たなければならいという流祖の意思を受け継ぎ、これからもその『敬和』の儀礼作法(茶の作法)の真髄(本質)を深く追求し続け、それを「実践」においても楽しみながらその礼儀作法のフィルターを通して無限に広がるそれぞれ個々の心を見つめ向き合って自然に沿っていきたいと思っております。
結びに、
「万人に慈悲仁恵を施す。」と即位された光格天皇が興味を示された速水宗達の提唱する茶の道。我々の未来に万人の和合を叶えるため求めるべき道と言っても過言ではありません。法に縛られ流され過ぎないために生活における少しの時間を清寂の空間に身を寄せ、物事・形の本質を求め知り、形(法)に使われる事なく使うことを意識する人が少しでも増えれば、万人の真の和合に近づくのではないかと思います。
光格天皇の弟宮の聖護院盈仁法親王のご染筆の速水宗達の拝領した掛物に
迷則人隨法
悟則法在人
と記されております。まさしくこのことでしょう。
何より個々より自然と沸き起こる慈悲の心が万民の喜びであり真の和合です。
これからも私自身森羅万象に感謝の気持ち(畏敬の念)を忘れない事を第一に、果てなき茶の一服においての道を歩む所存でありますのでご指導ご鞭撻の程どうぞ宜しくお願いします。
速水宗燕
速水流八代目 速水宗燕 略歴
1983年 | 生を受ける |
---|---|
1989年 | 北野天満宮において初点前 |
2001年 | 佛教大学文学部中国語中国文学科入学 大学在学中より聖護院献茶式などの半東を務める |
2005年 | 佛教大学文学部中国語中国文学科卒業 卒業後、速水流執事補として従事する また教授として稽古場を持ち初心者の稽古を始める |
2006年10月 | 近江八幡市文化振興課の依頼を受け近江八幡資料館文化講座非常勤講師に就任する |
2007年10月 | 岡山県笠岡市威徳寺での代官茶会にて席主を務める |
2008年9月 | 相愛大学日本文化論非常勤講師に就任する |
2008年10月 | 聖護院門跡にて若宗匠襲名披露 |
2009年3月~ | 東京都港区南青山・東三季にて稽古場開設し以後、 大阪府八尾市・恵光寺 滋賀県野洲市・錦織寺 東京港区虎ノ門・壽泉堂 広島県広島市・不動院に稽古場を開設する |
2019年3月 | 速水流八代目として家元を代襲する |
現在に至る |